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2011/07
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将来のこと
自分の立ち位置を客観的に眺めることは、非常に大切なことだと思います。企業人であれば研修などを通じて、そういう訓練や練習を積み重ねるのですが、私のように自営業となると時間に追われ、現実なかなかそこまで思考が辿り着かなくなってしまいます。


ですので、私の場合は半期に1度、敢えてそういう時間を作り、長・中・短期で方向性を再考します。その中で、短期は別としても、中・長期での場合、いくつまでこの仕事が出来るのかという不安はあります。


自営業は定年がないからいいね、なんて言われたりもしますが、私はそうは思いません。何故なら私の仕事は、一級建築士という技術者としてより、営業職としての色の方が濃いから。自分で契約を頂かない限り、仕事はありませんから。


高価なキッチンのカタログを持って行って、お客さまが私の提案に納得して下さるのは、今この年齢の私だから出来ることだと思っています。これがですね、年齢が進み、眼鏡を外したり、遠くに離してカタログを見るようなことになった時、やはりその姿を魅力的だとは思いませんし、限界があると思っています。


こんな事を考えるようになってきた頃に、介護保険を使った住宅改修のお話を春日部市の包括支援センターの方から頂くようになりました。そして、工事数が増えるに従って、これが将来私の生き甲斐になる仕事となるのではないかと思うようになりました。


住まわれている方の、身体機能により様々な対応が必要です。加えて、既存住宅に手を加える訳ですから、建築的にも種々の制限が加わります。


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木造3階建住宅の手摺りの取付工事が昨日終了しました。難易度の高い廻り階段でした。コーナーにより、踏面が2つ割だったり、3つ割だったり… そうするとそれによって手摺りの勾配が違ってきます。


図面もなく、下地も等間隔ではないので、後付け補強板を取り付けて…


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そうすると、コーナーブラッケットが使えないので…


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窓枠との絡みも大変で… 大変なのは大工さん(笑)。


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高が手摺りと思われるでしょうが、されど手摺りです。今回、部材の拾い出しが甘く、不足が出てしまったりと。まだまだ色々な意味で勉強不足。この仕事を将来に据えていこうと思うのであれば、もっともっと学ばないとなりません。


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万屋 hana house
自分で言うのも可笑しな話ですが、私の仕事って、とっても面白いんですよ!


入り口は、間取りの変更ですとか、キッチンの交換だったりするのですが、長くお客さまとお付き合いしている内に、取り敢えず家のことは何でも阿部さん… と思って頂けるようです。


ですので、蝙蝠退治をすることになってみたり… お客さまのお仕事のイベントに仮設トイレを手配することになったり… 


当社のお客さまで、商業ビルのオーナーからの今回のmissionは、


         ここに人が座らないようにしてちょうだい!


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エントランス横の、この高さ20cm強のタイル貼り部分に座る人がいるのです。勿論このビルに用のある方ではありません。風雨が凌げ、尚且つ人目に付かない場所ですので、喫煙と飲食があとを絶たず、その後のゴミにオーナーは長い間頭を抱えていたそうです。


         さて、どうしようかなぁ?


この上にフェンスを立ててしまえば、作業的にも、コスト的にも簡単なのですが、何せエントランス。見栄えの問題もあります。


という訳で、こんな感じに仕上げてみました。


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既存タイルの上に、勾配をつけて新しいタイルを貼り、座れない工夫をしてみました。


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         タイルの色が違う~


と、ご指摘を受けそうですが、理由があります。既存タイルがオーダーで焼き上げているので、同じタイルがないのです。同じように見える白を使うと、更に違いが目立ってしまいます。そういうものなので、敢えて対色を使ってみました。


手直しがありましたので、少々長引いてしまいましたが、本日引き渡し。今のところ座っている人を見ていないと伺い、安堵する私。30°の勾配をつけたので大丈夫だと思うのですが、自分の常識では測れないのが世の中なので… 


         お願いだから、座らないでね!


斜め横断…完
桧原湖ファミリーサイクリングは、名称の如くファミリー向けですので、走行時間もたぷっり。スタートでの様子です。1000名を超える参加者。


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湖一周34キロですので、1時間半もあれば走れるでしょう。6キロ地点にある第1給水所でお喋りをしている内に、この近くにヒルクライムレースで有名な裏磐梯スカイバレーがあるという情報をキャッチ(笑)。距離16キロで、600m上がる… この頃、ちょっと計算出来るようになった私は、2時間あれば往復可能という結論。



折角、来たのだから… ゴール時間に余裕があるのだから… ということで、また私の貧乏性が出てきて、


       誰か、一緒に行くひと~?


誰も手を挙げてくれないので、中原大先輩と福島県の自転車で大変有名な方が、一緒に行ってくれることになりました。ですが、コースアウトしてすぐの緩やかな勾配で、すぐに中原大先輩の姿は消えてしまいました(笑)。


このコースで1番景色のいい所と説明して頂きました。


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桧原湖です。雲がないと磐梯山が見えるそうです。


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もう少し上ると県境とのこと。何県との境? 山形県。ここまで来たならば、上るしかない!


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       快挙! 茨城県から山形県まで、来ちゃった!


この白布峠山頂で折り返し、その後、桧原湖を一周し、無事時間内完走。めでたし。めでたし。


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お声掛け下さいました中原大先輩、半澤さん、塙さん、藤田さん、ありがとうございました。食べ放題、飲み放題を用意して下さいました道楽亭の皆さま、大変お世話になりました。スカイバレーを先導して下さいました宍戸さん、ありがとうございました。


多くの出会いがあり、大変楽しい2日間でした。来年はご期待に添えますよう、埼玉から自走? 勿論、冗談です(笑)。


斜め横断
何処をかって言いますと、福島県を… 自転車で…


福島県北部に位置する周囲34キロの湖で行われる自転車イベント、桧原湖ファミリーサイクリングに参加してきました。お声掛け下さいました中原悟一級建築士は、前日に、自走で桧原湖に向かうと仰るので、私も合流。久々のロングライドです。茨城県北茨城市から福島県白河市を経由しての現地入り。上り基調の160キロです。


出発時間を尋ねますと、6時。


      ろっ、ろっ、6時ですか~!


深夜1時起床、3時半に春日部を車載で出発。母な私は、どんな時でも、家を出る2時間半前には起きないと、娘たちのお弁当やら洗濯が終わりません。ということで、またまた仮眠状態で、Let's go!


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無事定刻到着。そして出発。大津という海岸沿いの町からですので、基本的に只管上り。平地でしたらそんなに考えなくても200キロくらいなら走れますが、今回は上りばかりですので、自分なりにペース配分をしないとなりません。


何故か、この日の中原大先輩は、ゆっくりモード。


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私は、運転技術が未熟なので人に合わせることがまだ出来ません。ですので、自分のペースで先を走行。


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福島県の山々は低く穏やかです。一人で先に来たのはいいけれど、大嫌いなトンネル! 暫し待ちましたが、その姿が見えませんので、一人で渋々。あ~怖かった!


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白河に向けての下りになった途端に追い越され、待って下さ~い状態。途中の和菓子屋さんに立ち寄り、立ち食い(笑)。薄皮饅頭が美味でした。


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中原大先輩は下りになると、まるで燕のように走っていってしまうので、とても追いつくことは出来ません。所々で待っていて下さり、経由地の白河到着。走行距離92キロ、平均時速21.7キロ。まるで、ブルべ状態でした。


ここから2人が加わり、目指すは桧原湖。


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途中の景色も素晴らしかったです。


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ずっと上って、猪苗代湖。


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湖畔のお店で、お八つ。いつもの如く、食べてばかり…


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五色沼も案内して頂きました。


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沢山寄り道しながらも、暗くなる前に桧原湖到着。大先輩のお友達家族が、バーべキューの用意をして下さっていました。


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しおりまで作ってありました。。


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お食事だけではなく、自転車の微調整まで。


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桧原湖ファミリーサイクリング、初日はこんな感じ。


続きは明日以降です。








南佐久郡 小海町高原美術館
一級建築士の本試験まで、あと3日。安藤忠雄氏の日本建築学会賞受賞の住吉の長屋の話をしていると、受講生が、


      安藤作品って、他に何がありましたっけ?


全く、もう! 試験の直前になって! 日本が誇る建築家・安藤忠雄氏は、今や世界のANDOです。個人的には、水の教会光の教会が好きです。作品に興味のあります方は、こちらをご覧下さい。


先日、そんな安藤作品を見てきました。石川県の西田幾多郎記念哲学館に次いで、2つ目です。


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八ヶ岳の北山麓にあります。打ちっ放しコンクリートが、実に安藤作品です。1997年竣工。


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館内は写真撮影禁止。中庭からの全景が見たいのに、出入り口が見つかりません。受付に戻り尋ねてみると、一回外に出て、道路沿いに歩いて行くという… 敷地が広いので、結構歩きました。


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内部より外部の方がいいですね。ほんと、高原の素敵な美術館。でも、折角なら、内部から出られる構造になっていればいいのに…


この中庭を挟んで、こんな建物がありました。一体、何でしょうか?


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階段のみです。表示には、展望塔とありましたが、掻き消されていました。そうですよね、内部で連絡出来ない展望塔には誰も行かないでしょうから。誰も行かない、否、行けない展望塔に疑問の声があったのかもしれません。


勿論、折角ぐるっと歩いてきた私は、上りました。


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ここから眺めて、初めて安藤忠雄氏の高原美術館になる訳ですね。バックは八ヶ岳。湿度も大変低く、避暑には最適です。





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佐久市 旧中込学校
上信越道・佐久ICから車で20分の所にあります。現存する擬洋風学校としては、最も古いものの一つです。重要文化財・国史跡になっています。


歴史的建造物を見て歩くのを趣味としておりますが、専ら私は古民家と神社ばかりを追っていますので、学校建築には詳しくありません。記述の中で、間違いがありましたらご指摘、補足をお願いします。


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構造的には、八角塔屋付木造2階建寄棟造・瓦葺。1875年の建築です。間口7間、奥行11間。


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お気付きでしょうか? この学校は大変珍しい平面構成をしているんですよ。縦長と表現したら分かり易いかもしれません。通常、学校建築というのは、東西軸に計画しますが、この旧中込学校は、南北軸。


同時代の学校建築として、よく比較対象にされるのが、松本市の旧開智学校。このように東西に横長なのが学校建築としては一般的です。


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この旧開智学校、一見左右対称に感じますが、実は違います。左右の窓の数を確認して下さい。部分移築をしています。と、昔の建築の教科書に書いてありました(笑)。


本題の旧中込学校の内部。中廊下型です。


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当時の机が展示してありましたが…


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昭和45年入学の私もこの机だったんですけど… 掃除の時に重いこの机。真ん中の線から、消しゴムのかすが出たとか出ないとかで、よく隣の男の子と喧嘩したものです。その経験は、きっと、私だけではないはず(笑)。


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2階の廊下です。当時、ギヤマン学校と呼ばれていたそうですが、ステンドグラスからの日差しが素敵です。


私の小学校にもありましたが…


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なんのために、宿直室って、必要だったのでしょうね。



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高原に魅せられて
先月初めて高原を走り、すっかりその魅力の虜になりました。ですので、今回の那須高原もとっても楽しみにしていました。


東北自動車道 黒磯板室IC下りてすぐの那須ガーデンアウトレットをスタートし、目指すは那須ロープウェイの那須山麓駅。しかも、最短距離で!


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遠くに見えるのが、那須連山。と、説明して頂きましたが、結構遠そう! でも、那須在住の方が一緒ですので、安心です。


那須という所は、春日部から東北道で2時間ほどですので、娘たちの小さい頃何度も来ています。麓の、りんどう湖、ハイランドパーク、どうぶつ王国などのレジャー施設のある辺りはある程度土地感もあります。唯、温泉街は車でも上るのが大変な坂なのをすっかり忘れていました。


スタートから10キロほどで、もう休憩(笑)。暑いの苦手なのに、暑いし… 新しいホイールは性能がいいはずなのに、何だか重い気がするし…


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この素朴な牧場、大好きなんです。特に、ここのソフトクリームが…


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どんどん気温が上がってしまうので、急がないと! 南が丘牧場を出ようと思った途端、自転車が変! またぁ~! 道理でここまで、何だか変な気がしてた~!


ということで見てもらったら、後輪がちゃんと付いていなかった! しっかりしてよ、自転車! 持ち主が、持ち主なんだから、自転車がしっかりしてくれくれないと! 冗談です… 命に関わる事なので、今後は気を付けます。


距離10キロで、1000mくらい上がることになるのでしょうか。その途中の温泉街。


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ここが那須温泉の源泉。とてもいい温泉だそうです。足湯もありました。


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途中で、更にかき氷を食べ、何とか那須山麓駅到着。ここで、中原大先輩と半澤さんと合流。2時間以上も前に出発しているお二人に追いつくために、必死になって上ってきました(笑)。私が遅かったので、既にロープウェイで山頂まで往復されていました。


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実は、前日の晩になって急遽合流することになったので、当日の朝にコース変更。折角、今回のコースを設定して下さっていたのにすみませんでした。



駅から見上げた那須岳。


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一気に上って、一気に下る? 何だか信濃ブルべ状態。往復50キロで、獲得1000mは、私の柔な脚には過酷。でも、仲間が増えて、楽しさ倍増。途中途中、ぺちゃくちゃしながら…


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殺生石です。


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有名らしいチーズ屋さんにも寄り道。


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お店のアプローチも素敵です。あまりの暑さに買って帰ることは出来ないので、私は試食だけ(笑)。


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地元の方がいると、色々な所を堪能できるのでいいですね。


突如、オーストリッチに遭遇! 実物よりも、私はバックの方がいいなぁ…


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オーストリッチのお刺身? ちょっと、そのお味、想像出来ませんが…


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皆さん、どんどん食べに行って下さい。そうしたら、皮のお値段が下がるかもしれません。ずっと、バックが欲しいのに、高くて買えません!


冗談はさておき、急にコースを変更して、ご迷惑をお掛けしましたが、大変楽しい1日となりました。薔薇の季節にも、紅葉の季節にも走ってみたいですね。


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あついぞ! 埼玉
暑さ日本一を誇る当県。梅雨明けから連日、37℃前後。数年前に日本記録を樹立した熊谷市は、あついぞ!熊谷をキャッチコピーに事業展開をするほどです。熊谷には観測所があるので、熊谷、熊谷と世間一般では言われますが、ここ春日部市も、お隣り越谷市も1℃も違いません。


今朝9時前に30℃を越え、職人さんもこのような状態です。昨日から炎天下の作業となり、真っ黒。


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外は外で勿論、灼熱地獄ですが、中は中でサウナ状態。室内塗装は締めき切って作業をするので、これまた大変です。


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8時に作業を開始していますが、小1時間で、みんな無言。キティちゃんの存在だけが、現場を和ませてくれています。


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この現場、当事務所より3キロの所ですので、朝、昼、夕と3回、私も自転車で顔を出しますが、なんだか珍しく調子が良くありません。夏バテ? 熱中症? 睡眠不足? 更年期障害? 等々、考えてみましが… あまりの暑さに、毎晩、大人の炭酸飲料をたくさん飲んでしまうので、二日酔い? これが正解枝のようです(笑)。


自転車遊び
3年目に入りました。よく、きっかけは? と尋ねられます。一昨年の2月に、長年尊敬している友人がブルべなる自転車のイベントに参加するというので見に行って、面白そうだなぁ… その直後に、自宅と事務所の800mを車通勤していた生活を、娘たちにエコじゃない! と指摘され、確かに…


その友人だけを頼りに、先ずはクロスバイクを購入し、乗っている間にだんだん楽しくなってきて… 1ヶ月後にロードバイクを購入し、これまたもっと楽しくて… 自由気儘に乗り回している内に、


      私も一緒にブルべに参加した~い!


ということで、昨年は200キロに、今年は300キロに参加しました。人と行動を共にする時は、自転車に限らずいつもそうなのですが、足を引っ張る存在にはなりたくないので、私は隠れて沢山練習してしまいます(笑)。そんなことをしている内に、随分走れるようになりました。


いつもは一人で乗り回していますが、有難いことに多くの仲間と知り合うことが出来、いろいろお声掛け頂く機会も増えました。おかげ様で、日程が合えば何処でも行ってしまう私になりました(笑)。


自転車に対する考えは、人其々だと思います。私の場合は、中年になって覚えた楽しみですので、その位置付けは飽く迄も遊びです。


チームやレースにお誘い頂くこともありますが、仕事本位の生活をしていますので、毎週決まった時間に集まったりすることが出来ません。加えて、子どもの頃より、人と競うという概念が私にはないので、レ-スも不向きです。折角お声掛け頂いて、お断りするのも申し訳ありませんが、私の自転車遊びは、楽しいことと気儘なことが主軸です。


年にたったの数回ですが、自転車の世界に引き摺り込んでくれた友人と自転車に乗りながら共有出来る時間を何よりも楽しみに… 中原悟一級建築士のお仲間と丑満時より1日を目一杯使っての強行ポタを楽しみに… ル・グラン95の方々やブルべで出会った方々とのグルメポタを楽しみに…


私の自転車遊びは、楽しいことが最優先! 頑張るとか、人と競うとか、自分を追い込むとかだけは絶対にしたくありません。遊びは常に楽しくないと!





不届き娘たち
本当に私の娘なの? と言いたくなるくらい、勉強しません。勉強しないことの不利益は、将来自分自身が負うので、私は放っています。


家で勉強しなさいとは言いませんが、学校の授業はよく聞くように、分からないことは先生に聞くようにとは言っています。ですが、先生に聞いてきません!


試験になると、英語と数学は私に聞いてきます。社会や理科などは私に聞いても埒が明かないと思っているようで、聞いてきたことはありません。今回の期末試験も、次女が試験前日の夕食時になって、


   かあちゃん、Oral Communicationが何言ってるか分からない~!


急に言われても、私も仕事。ですので、帰宅後の11時からと約束し、親子で一夜漬け(笑)。普段は、放っておいても試験前ですと、さすがに知らん顔も出来ません。ということも、娘も心得ています。


DVDを使う教材ですが、内容が大変いいものでした。英語圏の都市を数か所ピックアップしてあり、そこに旅行に行くという設定になっています。海外旅行に行く時に慌てて本を買い込んだり、英会話教室に行く方がいらっしゃいますが、この本一冊を勉強すれば大丈夫。航空券やホテルの予約の仕方も、よく分かります。


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私などが中学・高校の頃は、よく流行の洋曲を英語で歌えるように歌詞を覚えたりしましたが、今時の子はこういうことをしませんね。何でも容易にネットで手に入れることが出来るからでしょう。急に、中学生の時に一番最初に覚えた歌を思い出しました。


LPジャケットの中のポスターをご記憶の男性陣も多いのではないでしょうか(笑)。あの大勢の女性がロードバイクに乗る姿は、中学生の私には衝撃的でした。





高校時代No.1は、何と言ってもLet's Groove! 30年前、都立高校の先生はその時既に週休2日制。今と違って副担任制度もないまま、担任が研修日と称して来ない日がありました。


生徒にとっては天国です。その日は決まって朝から5階建て校舎の屋上に上がり、午前中いっぱいラジオに耳を傾け、ヒアリング。当時電波が良くなかったので、屋上に上がらないと、FENが入りませんでした。その時、必死になって聞いて、書いて覚えたのがこの曲です。





私の時代、母校三田高校は、生徒野放し状態。午前中、英語のレッスンを屋上でした後、お隣りの慶応大学三田校舎の学食でランチ。私服でしたので、学校帰りに六本木に寄道するときは、明治学院大学のベルシバでもよくランチをしました。


と高校時代の話をすると驚かれますが、途中で勝手に学校を抜け出しても怒られた記憶がありません。都立の第一学区の当時はトップ校でしたので、先生方も優秀な方が多かったのではないでしょうか。教育テレビに出演されていたり、執筆活動をされていましたので、先生の早退は日常茶飯事。ですので、生徒の私達の早退も日常茶飯事(笑)。


今、自分の娘たちには口が裂けても言えない話です。私達の頃はそれでもクラスに東大に現役で入った友人がいましたが、その後都立高校は、一気に衰退の道を行く訳です。


益子町 西明寺
いつか訪れてみたいと思いつつ、距離にして90キロ程ありますので、長い間躊躇しておりましたが、漸く念願叶って、行って参りました。益子焼で有名な栃木県芳賀郡益子町の中心に位置します。八溝山系の丘陵地に囲まれ、背後に高館山を控えた景勝地にあります。


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左手、三重の塔、右手、楼門ともに重要文化財です。建築は室町時代。この三重の塔は、和様、折衷様、唐様の三様式から成っており、その特徴を見事に表わしています。


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本殿そのものには、特別な建築的特徴はありませんが、蟇股(かえるまた)の彫刻が見事です。干支が使われていましたので自分の干支をアップしてみました(笑)。


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この頃時間に追われ、自転車遊びも儘ならず。ひとりでふらっと出掛ける建築物探訪も叶わず状態でした。時々ご一緒させて頂いているル・グラン95の方々がコースにこの西明寺を入れて下さいましたので、自転車遊び&建築物探訪。


この界隈、栃木県と茨城県の県境ですので、集合場所は茨城県筑西市の下館運動公園。


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いつもの如く、とってもつまらない関東平野の田圃道を通り、


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先ずは真岡鉄道の真岡駅。この真岡鉄道、週末にSLを走らせていますので、駅舎もSL仕様。


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次は、焼き物の町、益子の共販センター。有名な狸。


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ここでは、益子焼きの陶器も購入できますが、製作を楽しむことも出来ます。


この傍の素敵なお店でランチ。気分はリゾート(笑)。


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店内から見る中庭もなかなか。今日は何かの撮影もしていました。


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店内の手洗いもいい感じ。栃木県ですので、大谷石を壁面に使い、洗面ボールは益子焼。


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ここでお腹いっぱい食べた後に山登りをしたので、苦しいのなんの。それでも、新ホイールの調子はいいですよ。皆さん、なかなか来ないので、ひとり森林浴。暑い田圃道より、こういう所の方が気持ちがいいです。


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その次の丘では待っている間に、風景を楽しんでおりました。


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本日の走行距離80キロ。ちょっと短いかなと思いつつも、暑さが半端ではありませんでしたので、十分でした。約1カ月振りに自転車に乗って反省。乗らないと、乗れなくなる! 2週間後に、久々のロングライドに行きますので、練習しないと。山坂のみの160キロは今日の私では無理。途中で気絶しそうです(笑)。


一級建築士への道⑧
二次試験の5時間半ですべての気力を使い果しました。その後、仕事こそはしていましたが、廃人状態。気力が戻るまで、1カ月掛かりました。


元旦から10カ月。冗談ではなく、歩きながら1問、信号待ちで1問、キッチンタイル全面に力学の公式を貼り、料理しながらぶつぶつ… 夜の学校帰りの信号待ちではルームライトを点けてまで1問。


 そこまでしないと受からないのですか?


昨晩受講生から質問されました。頭のいい人なら、きっとこんなに勉強しなくても受かるかと思います。実際、耐震偽装事件以来で、女性は一人いましたが、私より短い期間で合格した男性には会ったことがありません(笑)。


合格者の属性からも明らかなように、私はいい条件下での受験だとは思っていませんでした。合格者の平均受験回数は6回弱。私にはそれほどの長い期間を掛ける気持ちの余裕も、金銭的余裕もありませんでしたから、2年目の19年度が全て。ですので、そういう姿勢で臨んできました。


二次試験の出来は自分では散々だと思っていましたが、その年に合格。           


 あんな図面でなんでだろ?


恐らく、神様と採点者の憐憫… 私は手書き世代。一本のシャーペンで、線の太さや濃淡を表現することが出来ます。それは今の図面を書くことのないCAD世代には出来ない事。だから、採点者が私の図面を見て、年齢を感じてくれて、おまけに名前を見たら女だったので同情してくれたのだと思います(笑)。


こうして、冗談から始まった私の一級建築士への挑戦は終わりました。この2年間に、娘たちは勿論、勉強仲間にたくさん助けてもらいました。


 1番条件の悪いかあちゃんが受かったんだから、俺たちもやるっきゃない!


私に御握りをくれたが為に落ちてしまった北條君やその時の勉強仲間が、私の合格に刺激?され、翌年以降合格しました。自分の時も嬉しかったですが、私を支えてくれた仲間が次々に受かったときの方が、私には嬉しかったですね。まだ一人、今年8回目の二次試験を受ける仲間がいますが…




受講生・受験生へ

本試験まで2週間強となりました。悔いの残らない勉強をして欲しいと思います。
弱点補強をしながら、過去問は解説まで読み込んで1回転は必ずさせるように。
人間の身体って頑丈だから、2週間位なら、睡眠3時間で大丈夫(笑)。
因みに私はほんとに睡眠3時間にして、直前2週間で2回転させていました。
もちろん、300問の過去問、得意だった法規を除いて全科目…


一級建築士への道⑦
建築士の二次試験は、当日に与えられた条件を満たす建築物の図面を書きます。一級の場合は、鉄筋コンクリート造の公共的な建築物が一般的です。私の受験年は、子育て支援施設のあるコミュニティセンター


詳細は当日ですが、この表題部のみは事前に発表になります。私の通っていた日建学院設計製図コースでは、諸条件を色々変えた形式で、一次が終了し二次試験までの2カ月半の間に、30枚の図面を書くようになっています。


A2を30枚書くのも大変なのですが、合格者は50枚は書いているというのを耳にして、


       それなら、私はおばさんだから、もっと書かないと!


ということで60枚を仕上げて、私は二次試験に臨んでいます。


持ち時間は5時間半。日建学院の指導ですと、


エスキス: 2.0時間  作図: 3.0時間  見直し: 0.5時間


エスキスと言うのは、問題を読み込んだ上で、諸条件に合うプランを作成することです。この時間が短いほど、作図に時間が掛けられます。作図に3時間は掛かるので、このエスキスは最長でも2時間で打ち切るようにと、講義の中でも再三言われて、そういう練習を積んできます。


試験当日、精神状態は普通ではありません。この日に向けて全神経を集中させてきていますから。


試験開始から、1時間。エスキスが出来ない! 纏まらない! 数字が合わない!


       なんで! なんで! どうして~!


何度も問題を読み返しても原因が分かりません。心臓がどきどきしてきて、目がうるうるしてきて、


       この日のために、元旦から頑張ってきたのに~!


ふと、その時目に入ったのが、敷地図。問題文は何度も目を通したのに、敷地図全体は1回しか見ていませんでした。


       縮尺が違う!


練習慣れと思い込み。この時既に、1時間半が経過。一旦、トイレに出て、仕切り直し。何しろエスキスを完成させないと、作図は無理。ここから、更に1時間以上を費やし、柱配置とボリューム計算をしただけで3時間が過ぎようとしていました。もう駄目だと半ば諦めながら、エスキスを打ち切り作図へ。


残り時間、2時間半ちょっと。練習で2時間半は切ったことがあるものの、それはエスキスがちゃんと終わっている状態での話。


       やれるだけ、やってみよう!


恐らく、般若の如くの形相だったに違いありません。一心不乱。時間一杯を使ってどうにか書きました。見直しはしていません。内容なんて酷いもの。最後に書いた記述など、穴があったら入りたい状態。


選択した空調設備について、その理由を書くのですが、私の答えは、


       計画上、それに適するスペースが出来たから。


小学生の作文じゃあるまいし、こんなの答えにも何にもなっていません。馬鹿丸出し。3行程の欄に、時間的にこれが精一杯でした。勿論、大幅に減点されていることは間違いありません。


でも、もしここを空欄で提出した場合には、失格。そういう試験なのです。


力をすべて使い果たし、試験終了。出来の悪さに、落ち込む気力すらも残っていませんでした。悔いも何もありません。縮尺を間違えるような初歩的ミスを含んでが、私の能力。


       自分の限界。これ以上、私には出来ない!


忘れもしない、平成19年10月14日。日が暮れた芝浦工大のキャンパスを、歩きながら想ったこと… 溢れそうな涙を抑えるのが精一杯でした。


一級建築士への道⑥
建築士の一次学科試験の合格基準は、総合点と科目基準点の双方を満たすこと。一応、目安点はありますが、年度により合格者数を操作しています。操作の方法も、総合点のときもあれば、各科目毎のときもあります。つまり、一定値がないので、受験者にとっては非常に不明瞭な試験なのです。2カ月後の試験元から通知で、初めて分かる仕組みです。


ですが、私が通っていました日建学院などでは、過去のデータやその蓄積で概ねの事は、試験当日の深夜までには分かります。


試験終了後、私も在籍していた越谷校に寄り、解答速報で自己採点。前半2科目50点中、法規満点で41点。後半の構造も17点とまぁまぁ。ところが、ところが、ところが、


       せっ、せっ、施工が、12点…  ぎゃ~!


茫然自失という言葉がありますが、この言葉はこの日の私のために存在していたんです。あまりのショックで、声も出せなければ、涙も出ませんでした。


この施工という科目、難易度が高いので、かなりの確率で基準点の補正があります。基準点は13点。ですが、前年も12点に引き下げ。それは、私も知っています。周囲の話からも、かなり難しいかったようなので補正はあるとは思いました。でも、あと1点取れていれば、確実に合格だった訳です。


多分、合格ではなく、確実に合格と娘たちに報告したくて、髪の毛が1/3抜けるくらい勉強してきたのになぁ。その晩は複雑な気持ちで、自宅で浴びるほど飲みました(笑)。


その年、施工の基準点は11点まで下がりました。そこまで下がったのは初めてです。結局、私の点数でも余裕があったのです。


       お釣りがあるならあるって、早く言え~! 施工のばかぁ…


手元に届いた合格通知を目にして、罵声を発した私でした。


一級建築士への道⑤
娘からこういう言葉を貰ったら、前へ進む意外に選択の余地はありませんでした。不合格通知が来たのが、9月でしたので、年内は苦手科目の克服に重点を置きました。


当時の試験は、計画・法規・構造・施工の4科目。構造力学で足を引っ張らないような、法規で総合点を稼ぐような勉強です。


意を決して迎えた平成19年の元旦から、全ての時間を試験に向けました。と言っても、3娘の母ですから、最低限の家事5時間と8時間の仕事時間は削れません。残りの時間を1分たりとも無駄にしないように。


少しだけお話しますが、驚くような生活です。元旦から10月の二次試験まで4時間以上の睡眠は取っていません。お酒も1日しか飲んでいません。車移動の時は常に問題集を横に置き、信号待ちで1問、歩きの時は問題を解きながら。まるで二宮金次郎状態。


ちょうど7月に入った今頃から、娘たちと口をきくことも出来なくなりました。極度の緊張状態。振り返った時に直前の一カ月の記憶がありませんでした。試験数日前の朝、机に向かっていた時に大きな地震(新潟県中越沖地震)があって、急に友人の安否だけが異様に気になったことだけは覚えています。


もうこれ以上は出来ないという状態で迎えた一次試験当日。昼食を挟んで、午前3時間、午後3時間。緊張し過ぎて、昼食を乗り物の中に忘れてきてしまいました。試験会場の芝浦工大に入ってから、


       お昼ご飯、忘れた~


と、私は半べそ。その時一緒にいた勉強仲間が、


       かあちゃん、俺の1個やっから、喰えよ!


と、2個しかない御握りの1つを私にくれたのでした。分けて貰った私が受かって、くれた北條君は落ちてしまいました。この後しばらく、この御握りのせいで落ちたと周囲に随分言い触らしていました(笑)。


一級建築士への道④
確かに、姉歯も悪い。でも、もっと悪いのは自分。例年の合格率がどうであれ、満点を取れば間違いなく合格なのですから。勝手に例年の25%に照準を合わせた私がいけないのです。


受験勉強をしているこの年、あるお客さまの一言で、独立して仕事をするようになりました。折角立ち上げたhana houseです。試験へのエネルギーは、hana houseの仕事に注ごう! 私の性格、往生際は悪くはありません。おまけに娘たちとは、1年間と約束していましたから。


試験が終わって2カ月経つ頃に、試験元より正式な通知が来ます。勿論、私の場合は、不合格通知が来た訳ですが、その晩小2の三女の添い寝をしていると、


    お母さん、もう一回学校に行って、一級建築士になって!


1年という約束で、3人には色々我慢と協力をしてもらいました。ですので、もう行かないから安心するように説明すると、


    もう、我慢するの慣れたから大丈夫だよ!


流石にこの言葉に涙が止まりませんでした。力の及ばなかった自分自身を、この時ほど呪ったことはありません。


これが高校生くらいでしたら、例え結果が悪くても、その努力が将来実を結びなんて青臭い励ましも有効かもしれませんが、いい大人には白か黒しかありません。三女のこの言葉を聞いて、さて、どうする私?


一級建築士への道③
アメリカの大ベストセラー『風とともに去りぬ』は、みなさん御存じかと思いますが、その続編があることはあまり知られていません。1990年代だったと思いますが、その印税を管理しているミッチェル財団が一般公募し、選ばれた小説が『スカーレット』と題して出版されました。


その中で、スカーレットが父ジェラルドの言葉を回想する場面があります。


     迷った時には、厳しい道を選択するように…


私は、この言葉を大切にしています。何も好き好んで厳しい道を選択する必要もないのですが、その方が達成感や充実感が大きいですから。


という訳で、散々悩んだ挙句に、学校に行く事に決めました。3娘にきちんと意向を伝え、4人で種々の取り決めと細かい約束をしました。


11月頃から通い始めたものの、最初は何も分からず大変でした。構造力学なんて、こんなの勉強したことあったっけ? こういう状態ですから、テストで0点を取ったり(笑)。この時、隣の席にいた北條猛久一級建築士は、この私の馬鹿さ加減を見て、


      このおばさん、大丈夫なのか~!


と思っていたのだそうです。一日3時間を勉強に充て、なんとか平均点が取れるようになってきたのが、GWの頃。本試験1カ月前になってやっと、25%というのが見えてきました。


勉強をし出した直後、姉歯元一級建築士による耐震偽装事件が発覚しました。世間も騒がせましたが、建築業界は大混乱に陥りました。役所の手続きなどが完全にストップ。機能するまでに随分時間が掛かりました。諸手続きも煩雑になり、後に大幅な法改正もありました。


当然ですが、その年の試験は厳しくなるのではないかと噂が流れるようになりました。そして案の定、平成18年度の学科合格率は過去最低の、


             10.0%


例年25%だったものを、どうしてそこまで下げるの~! 各科目足切りには掛からなかったものの、総合点が数点足らず、私も撃沈(笑)。例年通りでしたら合格出来た点数でしたので、思わず罵ってしまいました。


       姉歯のばかぁ~! 姉歯のばかぁ~! 姉歯のばかぁ~!


一級建築士への道②
自分の嫌な部分は外に出さないようにしているので誰も信じてくれませんが、私は、神経質で、おまけに根暗です(笑)。こういう性格ですので、試験勉強などは決して嫌ではありません。二級建築士の時は新卒でしたので勿論独学。再就職の際に少しでも有利になるようにと、12年程前の専業主婦時代に受けた宅地建物主任者の試験も、一冊の本を買い込んでの独学でした。


ですので、一級建築士も独学で… と、一瞬思ったものの、ちょっとだけ調べて、即座に無理! 試験問題を見ても、殆どが記憶にないような状態。まぁ、二級から20年弱の歳月が流れていますから、仕方ありません。


      一次学科試験 合格率25%


誰でもが受けられる宅建などとは、受験者層が違います。建築系の学校を卒業して、更に実務を積んでいる人たちばかり。その25%。


通信も考えましたが、質問出来ないし… となると、通学かぁ… 早速、日建学院の資料を取り寄せてみると、


      本科コース: 費用 70万円  平日夜間2日  日曜全日


大きな壁が二つ。数年間働いて、こつこつ貯めたお金がちょうど70万円。一文無しになってしまうけれど、まぁいいや! 物理的なものは、後に如何様にでもすることが出来ます。


問題は、夜間の講義。この時、長女小6おまけに中学受験生、次女小4、三女小1。近くに、親や親戚はいません。父親は職業柄、6時前に出勤し、帰宅はいつも真夜中。生まれた時から、普段の生活で父親に接することのない3娘にとって、生活の要は私一人。


仕事+家事ですら時間に追われるのに、加えて長女の宿用お弁当作りがある生活。果たして、可能なのだろうか?


それ以前に、小学生だけで夜間留守番をさせることが、母親として正しい選択なのだろうか?


何でも即決する私が、この時ばかりは1カ月も悩み続けました。


プロフィール

阿部美紀                     

Author:阿部美紀                     
hana house有限会社 取締役
一級建築士・宅地建物取引士
1964年生 3女の母

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