2015-05-30(Sat)
大学の指導教授が、この3月に退官されました。先日、その記念の集いがありました。

母校の教壇に立たれ、43年。多くの卒業生が、全国津々浦々、否世界各国から、この日のために集いました。世界各国などというと大袈裟に聞こえますが、本当の話。外国語学部ですので、卒業生は各国に散らばっています。

大学の3、4年生に、この先生のゼミで、『異文化間コミュニケーション』を学びました。当時は、入ゼミ倍率もNo.1の当学の花形ゼミでした。ゼミ名を言うと、すごいって返って来ることもありました。
よく学びました! よく飲みました! よく語り合いました!
どれほど多くを先生から教えて頂いたことか。更に、仲間から得たことか。測り知れません。ここでの2年間がなければ、今の私は存在しません。
在学時も、卒業後も生きる上での多くのヒントを、先生から頂きました。
石の上にも、3年。そんなのナンセンスですよ!
貴方が一生懸命考えた上での結論だろうから、僕は賛成です!
決めた以上は、最後まで努力を惜しむ事なかれ!
自分でいいと思ったことは、やり通しなさい!
過去を振り返り、こうして綴っている内にも、感謝の気持ちで一杯で涙が出そうになります。
個を尊重することの大切さを教えて頂き、今でも自分の奥底に染み込んでいます。ここの学びは、町田イズムとして卒業生全員で共有しています。特に私の学年は、ゼミ長が今でも同期や直近の後輩を纏めてくれているので、いい関係が続いています。

素晴らしい先生です。そして、素晴らしい仲間です。私にとっては、一生の宝物です。
SNS上に、同期が懐かしい写真とともに、素敵な文章を載せていました。合わせて、お楽しみ下さい。

5月24日(日)
獨協大学外国語学部町田喜義先生の退官記念パーティ
大学を卒業したのが1987年
今年が2015年だからもう28年も前のことなのか
町田ゼミは「大学とは学問を通じての人間形成の場である」という獨協大学の建学の精神を大学内で一番実践していた場所でした
入ゼミ前の春合宿、先輩方の名前を覚えること、脱いだスリッパはそろえること、乾杯するときは座布団の上に立たないこと、ビールは継ぎ足さず飲み切るのを見計らって注ぐこと…
20になるかならないかの若造にそれを体で体得する機会を与えてくださった
しかも先生から直接ではなく、ゼミの伝統として先輩から後輩に受け継いでいく仕組みを作って、最初は激しく抵抗を感じながら、でも結局はじわーっと体にしみこんでいくように腑に落ちる形で体得させていただいた
でも、そのルールは意外にも僕が入った社会のルールにはあてはまらず、ビールを注ぐタイミングはいつも同期のやつらからは出遅れていたし、立派そうで偉そうな上司は堂々と座布団の上で万歳三唱をしていた
その違和感を全身からにじませて異端児扱いされながらも、でもギリギリのところで社会と折り合いをつけることができたのも、ゼミでじわーっと身体中にしみわたっていた町田イズムによる人間形成のおかげだった
50年の年月の中でたった2年間の関わりだったけどその2年の間に僕は今の僕になった
頭の中、心の中の一番大切な部分は、町田イズムとその時間を一緒に過ごした友だちが包んでいるし、これからも包まれていると思う
卒業は28年も前のことだけど、卒業後も、ゼミ合宿では後輩たちが、僕らがそうだったように、めんどくささを感じながらも暖かく迎えてくれ、ベロベロになっちまった真夜中でさえ廊下のスリッパはきれいに整えられていて、それを見つけて笑顔になれた
今こうやって再びゼミの仲間たちに会うと、長い年月の中でいろんな辛いことや苦しいことが積み重ねられている今を忘れて、タイムマシンに乗ったみたいに当時の自分自身に出会うことができる
自分を見直す機会を与え、当時とおんなじようにみんなから勇気をもらい、そして今に直面する覚悟を与えてくれる
そのゼミが終わってしまうんだね、寂しいなぁ
でも町田ゼミで出会った仲間たちはいつでも僕を支えてくれる
会えなくても、声も聞けなくても、僕を支えてくれている
何百キロ、何千キロも離れているかもしれませんが、これからもどうぞよろしく

母校の教壇に立たれ、43年。多くの卒業生が、全国津々浦々、否世界各国から、この日のために集いました。世界各国などというと大袈裟に聞こえますが、本当の話。外国語学部ですので、卒業生は各国に散らばっています。

大学の3、4年生に、この先生のゼミで、『異文化間コミュニケーション』を学びました。当時は、入ゼミ倍率もNo.1の当学の花形ゼミでした。ゼミ名を言うと、すごいって返って来ることもありました。
よく学びました! よく飲みました! よく語り合いました!
どれほど多くを先生から教えて頂いたことか。更に、仲間から得たことか。測り知れません。ここでの2年間がなければ、今の私は存在しません。
在学時も、卒業後も生きる上での多くのヒントを、先生から頂きました。
石の上にも、3年。そんなのナンセンスですよ!
貴方が一生懸命考えた上での結論だろうから、僕は賛成です!
決めた以上は、最後まで努力を惜しむ事なかれ!
自分でいいと思ったことは、やり通しなさい!
過去を振り返り、こうして綴っている内にも、感謝の気持ちで一杯で涙が出そうになります。
個を尊重することの大切さを教えて頂き、今でも自分の奥底に染み込んでいます。ここの学びは、町田イズムとして卒業生全員で共有しています。特に私の学年は、ゼミ長が今でも同期や直近の後輩を纏めてくれているので、いい関係が続いています。

素晴らしい先生です。そして、素晴らしい仲間です。私にとっては、一生の宝物です。
SNS上に、同期が懐かしい写真とともに、素敵な文章を載せていました。合わせて、お楽しみ下さい。

5月24日(日)
獨協大学外国語学部町田喜義先生の退官記念パーティ
大学を卒業したのが1987年
今年が2015年だからもう28年も前のことなのか
町田ゼミは「大学とは学問を通じての人間形成の場である」という獨協大学の建学の精神を大学内で一番実践していた場所でした
入ゼミ前の春合宿、先輩方の名前を覚えること、脱いだスリッパはそろえること、乾杯するときは座布団の上に立たないこと、ビールは継ぎ足さず飲み切るのを見計らって注ぐこと…
20になるかならないかの若造にそれを体で体得する機会を与えてくださった
しかも先生から直接ではなく、ゼミの伝統として先輩から後輩に受け継いでいく仕組みを作って、最初は激しく抵抗を感じながら、でも結局はじわーっと体にしみこんでいくように腑に落ちる形で体得させていただいた
でも、そのルールは意外にも僕が入った社会のルールにはあてはまらず、ビールを注ぐタイミングはいつも同期のやつらからは出遅れていたし、立派そうで偉そうな上司は堂々と座布団の上で万歳三唱をしていた
その違和感を全身からにじませて異端児扱いされながらも、でもギリギリのところで社会と折り合いをつけることができたのも、ゼミでじわーっと身体中にしみわたっていた町田イズムによる人間形成のおかげだった
50年の年月の中でたった2年間の関わりだったけどその2年の間に僕は今の僕になった
頭の中、心の中の一番大切な部分は、町田イズムとその時間を一緒に過ごした友だちが包んでいるし、これからも包まれていると思う
卒業は28年も前のことだけど、卒業後も、ゼミ合宿では後輩たちが、僕らがそうだったように、めんどくささを感じながらも暖かく迎えてくれ、ベロベロになっちまった真夜中でさえ廊下のスリッパはきれいに整えられていて、それを見つけて笑顔になれた
今こうやって再びゼミの仲間たちに会うと、長い年月の中でいろんな辛いことや苦しいことが積み重ねられている今を忘れて、タイムマシンに乗ったみたいに当時の自分自身に出会うことができる
自分を見直す機会を与え、当時とおんなじようにみんなから勇気をもらい、そして今に直面する覚悟を与えてくれる
そのゼミが終わってしまうんだね、寂しいなぁ
でも町田ゼミで出会った仲間たちはいつでも僕を支えてくれる
会えなくても、声も聞けなくても、僕を支えてくれている
何百キロ、何千キロも離れているかもしれませんが、これからもどうぞよろしく